2013.08.07.Wed ありがたいような、こっ恥ずかしいような…、

褒めすぎだろーーー!
何様のつもりやーーーーーーーー!!

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因幡の作る『音楽』は多岐にわたる。
オールジャンル。
いや、ノンジャンルと言った方が正しいのかもしれない。
まさに演歌からロックまで、ありとあらゆるジャンルがある。
ラブソングから社会風刺したメッセージソングまで。
ジャンルとかカテゴリーに属さないのが彼のスタイルなのかもしれない。

因幡の音楽にはいつも「自由」を感じる。
フリースタイル。
彼はジャンルなどというものには興味が無いのだろう。

ここ最近、ライブ演奏の動画がアップロードされた。
「ジャイアントセコイヤ・・」など、何のジャンルに入るのか?
それは「モダンテロリズム」や即興演奏で歌われた「安来節」などもそうだ。
世界広しと言えどもあまり類を見ない。
誰も真似できないオリジナリティーがそこにはあるのだ。


因幡の奏でる音楽世界は歌詞を追いながら聴くのではなく、感じることだ。
決して考えてはいけない。
五感で感じることだ。
私はいつも思う。
彼の音楽は絵画に似ている。
「感じながら聴く」と、まるで映画を観ているかのような錯覚に陥る。
その情景はキラキラとした輝きを放ち、私は時に直視出来ないことがある。
よけいなものが全て取り除かれ、丸裸にされた真実がそこにあるのだ。
コマーシャリズムなど皆無だ。
恐ろしいほど純粋なのである。
あまりにも純粋が故に恐怖感すら感じるのだ。

因幡は喜怒哀楽を直接ぶつけて来る。
4つの感情を言葉とメロディー♫に乗せ、無心で歌う。
そこには「まごころ」が込められている。
「真心」。
真実の心である。
その真心に触れたらもう戻れない。

彼は【喜】びを全身で表す。
本当に【怒】った彼を、私はほとんど知らない。
【哀】しむ時は、涙をボロボロ流しながら、人目気にすることなく泣く。
【楽】しむ時は、お酒を片手に子供のようにはしゃぐ。
実に人間臭いのだ。
昭和の時代のやんちゃ坊主が、平成のデジタルな今、ぽつんと居るようだ。
私はそんな「人間、因幡修次」にも惹かれている。

私は十数年前にリリースになった「因縁果報」以来、ずっと彼の音楽を聞いている。
何度かライブにも足を運んだ。
「百人が一回聴く歌よりも一人が百回聴く歌を歌う」、彼の言葉だ。
実に因幡修次らしい。
彼の生のライブを是非観てほしい。
体を揺らし、弦を切りながら我武者羅にギターをかきむしる。
無心で吠えるあの姿を、あの歌を、是非とも体感してほしい。


日本国内では彼は知名度が低い。
それは日本の歪んだ音楽文化にも問題がある。
因幡が作るような歌が、本来なら認められなければいけないのだ。
因幡の音楽は海外で高く認められている。
海外の音楽メディアはshuji-inabaを高く評価している。
過去のイギリス公演の後、海外のいろいろな音楽雑誌が因幡修次を大絶賛していた。
海外では日本と違い「売れる音楽」が『本物』ではないのだ。
本物を見極める力を持っている。
そういう文化がしっかりと根付いているのだ。

売れる売れないは彼にとってどうでも良いことなのかもしれないが、せめてもう少し日本国内で知られてほしい。
彼は日本国内の大手メジャーレーベルからの誘いも断っている。
彼の生き方、音楽への姿勢を見ていると、その真意が私には理解出来る。
因幡は言う。
「有名になったら風俗にも行けないじゃないか」などと・・・、いつもそんな冗談でかわされる。
あまりにも残念だが、因幡修次は知る人ぞ知るでいいのかもしれない。
彼がそれを一番望んでいるはずだ。


7月27日の夜、生の因幡修次体験をしたみなさんは、良いものを見られたと思う。
アップロードされた4曲を見せていただいたが、そんな様子が伝わって来る。
因幡修次は本物の歌手である。
個人的に小言を言わせていただければ、少し飲酒を控えてほしい。

雑記:匿名 
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大風呂敷広げすぎやろ=======!












ありがとうございました。

by 人気がない因幡修次
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